奇妙な国日本で、これから社会人になる人達へ

 今日は選挙ですね。投票者の多くが高齢者であり、若年層の投票率が低く「シニアのための選挙」になっています。これでは、過去を維持するための選挙であり、未来を創る選挙ではありません。しかし、人口比率でも若年層は不利だし、改革を信じて投票してもマニフェストは守られないし、日本の未来にそもそも希望なんて感じないから選挙なんかに行っても何も換わらないという気持ちも分かります。

 こんな状態で「選挙に行こう」と聞かされても、選挙に足が向かないのももっともです、未来が感じられないのだから。それでも、未来はいつだって若い人が創り出すのも事実だと思います。未来を考える、ちょっとしたきっかけになって貰いたくて、2010年に書いた一本の記事を紹介したいと思います。

 2010年3月に、日本人のTanaka Kenichiさんの作った「奇妙な国日本」というビデオが海外のニュースサイトでも紹介され、話題になりました。

僅か11分の短いフィルムですが、その内容を簡単に紹介すると、日本は最新のテクノロジーを誇っており、どこでも綺麗な水が飲めて、世界中の食べ物を食べることが出来、世界に類を見ない経済的に豊な国。しかし、そんな「なんでもあって豊な国」の筈なのに、16分に一人が自らの命を絶つ、「奇妙な国、日本」と紹介されています。

そんな、奇妙な国、日本で今月から社会人になった皆さんへ、少しだけ、社会人の先輩として、私の好きな三つのお話を紹介したいと思います。

「86,400ドルのプレゼント」

 一つ目の話は、古くから伝わる作者不明の、奇妙な銀行のお話です。

もし、こんな銀行があったら、あなたはどう利用しますか?

それは、奇妙な銀行です。この銀行にお金を預けても、利子も付きませんし、お金を借りる事も出来ません。
しかし、その銀行は、 毎朝あなたの口座へ86,400ドルを振り込んでくれます。口座に振込むと同時に、あなたの財布に全て引き出され、それをあなたは自由に使う事が出来ます。しかし、このお金は「魔法のお金」で、あなたが使い切っても、使いきらなくても、24時間で消えてしまいます。そして、0時になると、また86,400ドル振込まれます。これが毎日続きます。

あなただったらどうしますか。もちろん、毎日86,400ドル全額を引き出しますよね?

この奇妙な銀行を、実は、私達一人一人が持っているんです。

それは「時間」という銀行です。

毎朝、あなたに86,400秒が与えられます。
毎晩、あなたが上手く使い切らなかった時間は消されてしまいます。
それは、翌日に繰り越されません。
それは貸し越しできません。

毎日、あなたの為に新しい口座が開かれます。
そして、毎晩、その日の残りは燃やされてしまいます。
もし、あなたがその日の預金を全て使い切らなければ、あなたはそれを失ったことになります。
過去にさかのぼることはできません。

あなたは今日与えられた預金のなかから今を生きないといけません。
だから、与えられた時間に最大限の投資をしましょう。
そして、そこから健康、幸せ、成功のために最大の物を引き出しましょう。
時計の針は走り続けてます。今日という日に最大限の物を作り出しましょう。

1年の価値を理解するには、落第した学生に聞いてみるといいでしょう。
1ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に聞いてみると いいでしょう。
1週間の価値を理解するには、週間新聞の編集者に聞いてみるといいでしょう。
1時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。
1分の価値を理解するには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。
1秒の価値を理解するには、たった今、事故を避けることができた人に聞いてみるといいでしょう。
10分の1の価値を理解するためには、オリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。

だから、あなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。
そして、あなたはその時を誰か特別な人と過ごしているのだから、十分に大切にしましょう。
その人は、あなたの時間を使うのに十分ふさわしい人でしょうから。
そして、時は誰も待ってくれないことを覚えましょう。昨日は、もう過ぎ去ってしまいました。
明日は、まだわからないのです。
今日は与えられるものです。
だから、英語では今をプレゼント(=present)と言います。

STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 二つ目の話は、iPhoneやiPadを作っている会社「Apple」のCEOであるスティーブ・ジョブスが2006年に米国スタンフォード大学卒業式で卒業生に向けて行ったスピーチです。

PART 1. BIRTH

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがありません。だから、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。たった3つです、どうってことないですよね。まず最初に話すストーリは、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。しかし、本当に辞めてしまうまで18ヶ月位はまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですが、それは、ずっと昔、そう、私が生まれる前の話にまで遡ります。

 私の生みの母親は、未婚の若い院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。経済的に苦しい思いをさせないために、育ての親は大卒でなくてはと、そう彼女は固く思い定めていました。そのため、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていました。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。

 彼らは「もちろん」と答えました。

 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていなかった。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

PART 2. COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入ったわけですが、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高い大学を選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めました。

 「全てのことはうまく行く」と信じてね。

 それは勿論、当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思います。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですから。

 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりしてね。日曜の夜はいつも7マイル歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶、美味しかった。

 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。

 一つ、具体的な話をしてみましょう。

PART 3. CONNECTING DOTS

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ(飾り文字)教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至る所、ポスター1枚から戸棚の一つ、一つに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィが施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めました。

 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になっていました。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のMachintoshを設計する時に、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきました。僕達はその全てをマックの設計に組み込んだ。そうやって完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。

 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。もし、寄り道していなかったら?Macには複数書体も字間調整フォントも入っていなかったでしょう。そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかったでしょう。WindowsはMacの単なる真似に過ぎないのですから。

 勿論、大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんて出来ませんでした。

 だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。

 未来に先回りして点と点を繋げて見ることは、誰にも出来ない。君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

PART 4. FIRED FROM APPLE

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。

 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとAppleを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、Appleはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、Macを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。

 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらは上手く行きました。しかし、お互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまったんです。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出された、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。

 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまった、そう感じました。こんな最悪の形で全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンバレーを離れることも考えました。

 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見えて来たんです。私はまだ自分のしてきた仕事が好きでした。Appleでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

 その時は分からなかったのですが、やがてAppleをクビになったことは「自分の人生最良の出来事だった」ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。

 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

思いがけない方向に物事が運び、NeXTはAppleが買収し、私はAppleに復帰しました。NeXTで開発した技術は現在Appleが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

 Appleをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。それは、ひどい味の薬でした。でも患者にはそれが必要なんでしょうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものです。だけど、信念を放り投げてはいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。

 皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることです。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっては駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとに、どんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

PART 5. ABOUT DEATH

 3つ目は、死に関するお話です。

 私は17の時、こんな言葉をどこかで読みました。確かこうでした。
 「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。

それは私に強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けています、「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日の予定は、本当に私のやりたいことだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟ります。

 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。

 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

PART 6. DIAGNOSED WITH CANCER

 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。

 医師たちは私にこう言いました。
 「これは治療不能な癌の種別である、生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう」と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。

 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、「さよならを告げる」、ということです。

 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診て貰いました。その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったから涙したそうです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。

 以前の私にとって死は、頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることがあります。

 「死にたい人なんて思う人はどこにも居ない」
 
 天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わないでしょう。にも関わらず死は我々全員が共有する終着点であり、そこから逃れられた人は誰一人として居ない。そしてそれは、そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。

 今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で申し訳無いけれど、でもそれが紛れもない真実なんです。

 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

PART 7. STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。

 それはスチュアート・ブランドという人が、ここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやDTPがまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでGoogleが誕生する35年前の時代に遡って出されたGoogleのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。

 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。

 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」

 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

 ※原文となるスピーチの動画

CAN 世界一強いお父さん

 最後に伝える三つ目の話。最後は家族に関するお話です。まずは、この4分間のビデオを見て下さい。

 視界の定まらない男性が登場し、パソコンの画面に「CAN」とタイプする。そして、場面は切り替わり、どうやら、障害を持った子供が生まれ、車椅子による生活を送ることになったことがわかります。そして、更に場面は切り替わり、その障害を持った子供が、今度は海の上でボートに揺られ、そのボートを一人の男性が引っ張って居ます。

 更にシーンは次々と変化します。この二人が、時には山をバックに自転車で進む姿、時には海を背景に自転車で進む姿、時には大学の中を車椅子で進む姿が次々と現れます。

一体なんの事か分からなかったですか?

これは、ディック・ホイトという、お父さんと、その息子リック・ホイトのホイト一家の生涯を綴ったビデオです。このビデオにはこんな背景があります。

 出生時にへその緒が首に巻き付いていたリックは、脳に障害が残り、四肢を動かすことが出来なくなった。生後9ヶ月の時、ディックと妻・ジュディに医師は宣告しました。「一生、この子は植物人間状態です。施設に入れなさい」と。

 しかし、ホイト夫妻は耳を貸しませんでした。息子が、部屋の中を移動する両親を目で追っていることに気づいていたからです。「きっと、この子は意識を持っている。」そう信じていたのです。リックが11歳の頃、二人はタフト大学へ息子を連れて行き、リックが意思疎通できるよう手を貸してくれないかと請願しました。「無理ですよ。彼の脳は全く機能していませんよ。」そう返事が返ってきました。

 「では、何かジョークを言って下さい。」ディックは食い下がりました。彼らがその通りにジョークを言うと、リックは笑いました。彼の脳が活発に機能していることを証明してみせたのでした。この一件で タフト大学の協力が得られるようになり、リックの頭の横にスイッチに振れることでカーソルを動かせるコンピュータを取り付けることが出来ました。この装置によって、ついにリックは家族と意思疎通できるようになりました。

 やがて月日は流れ、リックは高校生になりました。そこで、リックとディック親子の一生を変える出来事が起きました。
 ある日、高校の同級生が事故で全身麻痺になり、チャリティーマラソンが開催されることになりました。それを聞いたリックがある言葉をタイプしました。「父さん、僕もやりたい。」と。

 ディックはこの言葉に驚きました。当時のディックは自他共に認めるデブで、1kmも走れないような男でした。そんな男がどうやって息子を押して8kmも走るっていうんだ?

 それでもディックはやってみました。走った後のディックの感想は「2週間、体中が筋肉痛でもう。。。」 でも、息子の掛けたこの一言が、ディックの人生を変える事になりました。

 「一緒に走っている時、僕、自分が障害者じゃなくなったような気分になったよ!」

 父は、息子にその気分を出来るだけ与えてあげることに生涯を捧げることになりました。例えどんなに筋肉痛になろうとも。それから二人は練習に練習を重ね、1983年のあるマラソン大会で、翌年のボストンマラソン出場資格のタイムに達っするまでに至りました。「次はトライアスロンに出場してみたらどうだ?」あるとき、友人がディックに言いました。泳ぎ方も知らない、6歳以来自転車を漕いだこともない男が、どうやって50kgの息子を引っ張ってトライアスロンに出場するっていうんだ?

 でもやっぱり、ディックはやってみた。 「息子に、健康な人が体験出来る、あらゆる体験をさせてあげたかったから」

 二人はこれまで、もっとも過酷とされるハワイのアイアンマンレースを含むトライアスロンに200回以上も出場しています。

 ある時、ある人がディックにこう問いかけました。「一人で走ってどんな結果がでるか、やってみたらどうだ?」
 ティックは即答しました。「まさか!嫌だよ!」と。「僕が走る理由はただ一つ。息子と共に走り、泳ぎ、漕ぐ中で、息子が見せる、ひまわりのような笑顔が見れた時の、あの「最高の気分」に浸るため。ただ、それだけなんだ。一人で走ったって意味が無い」

 そんな父親に対して、リックはこうタイプします。「疑う余地も無く、僕の父さんは今世紀最高の父親だよ。」と。
 
 その後、リックは、ホームケアを受けながら一人暮らしをはじめ、ボストンで働くようになりました。ディックは軍を退役し、マサチューセッツ州に在住、二人は別々の場所で過ごすことになりましたが、二人は出来るだけ共に時間を過ごすようにしていました。

 ある、父の日の晩、リックは父に夕食をおごる予定でした。しかし、彼が本当に贈りたいものはお金では決して買えないもの、リックはこう綴ります。
 「僕がお父さんに一番あげたいものはね、今度は父さんを車椅子に座らせて、一回でもいいから押してあげたいんだ。」 一人で満足に動けない人が、そんな事が出来るわけがないと思う人も居るかもしれません。でも、彼は続いてこうタイプしました。

 「CAN」。

奇妙な国日本で、これから社会人になる人達へ

 冒頭に紹介した「奇妙な国日本」のビデオで間違っている事が一つだけあります。それは、日本は既に「豊な国では無い」という事です。正確には、これからは「豊では無くなっていく国」かもしれません。これから発展すると言われている国々が、中国、インド等の人口の多くなる国々であり、国土面積、人口ピラミッドを考えても、避けられない事実です。

"なんでもあって豊な国"の筈なのに、16分に一人が自らの命を絶つ「奇妙な国日本」が、"なんにも無い貧しい国"、16分に一人が自らの命を絶つ「絶望の国日本」にならないためにはどうすれば良いか?

そんなことを考えたとき、私は、この三つの話から得た、こんな教訓を支えにしています。(実践出来ているかはわからないけれども)

一つ目の話から、時間の大切さを教えられました。
二つ目の話から、自分の経験を信じる事、自分の未来を信じる事、誇りを持って仕事をする事の大切さを教えられました。
三つ目の話から、誰かのために生きる素晴らしさを教えて貰いました。

この三つの事から言えること、「別にお金持ちにならなくったっていいんだよ」って言うことが、ほんの少しだけ、社会人の先輩である、僕から今月から社会人になる、日本の未来を背負う人達に教えてあげたいことです。


 お金持ちにならなくたって、誰にでも平等に86400ドルはプレゼントされる。そして、それは、どんなにお金持ちでも、それ以上買う事は出来ません。

 お金持ちにならなくたって、君たちの過去に経験した事、人生をかけて費やしたいと感じること、自分らしく生きる事、そしてなにより、どんな仕事をしていても「自分の仕事に誇りをもつこと」はできます。

 お金持ちにならなくたって、「誰かのために生きること」は、勿論出来ます。

僕は今35歳であり、この世代の人や、僕よりもっと年上の人達は、「お金持ちになること」が幸せという価値観で育ってきたと思います。でも、そろそろ、もっと色々な価値観が世の中に受け入れられても良いんじゃないかなって僕は思います。毎日与えられる86400ドルを、会社のためだけに使うのが偉いという教育はそろそろ終りにしても良いんじゃないかと思います。

「お金持ちになる事が幸せ」だとした時に、それが叶わない解った時に、「自らの命を絶つ」国よりは、心が豊になる事で喜びを共有出来る国になった方が幸せだと思うから。

 どんな未来でも、明日は常にやってきます。そして、日本の未来を作って行くのは、どんな時だって「若い人達」です。前の世代の価値観に縛られず、自分達の価値観や、自分のためではなく、誰かのために生きる事の喜びを大切にして欲しいと思います。

 そして、いつか「奇妙な国日本」が「幸せそうな国日本」として紹介されるような、そんな未来を見てみたいですね。

★これからの働き方を考える一冊の本を紹介します★
ロンドン・ビジネススクールを中心とした「働き方コンソーシアム」によって世界中の有識者らが研究し書き上げた2025年の働く人々の日常を描いた「ワーク・シフト (孤独と貧困から自由になる働き方の未来図) 」です。この本には「食えるだけの仕事」から意味を感じる仕事へ、忙しいだけの仕事から価値ある経験としての仕事へ、勝つための仕事からともに生きるための仕事へ、覚悟を持って選べば、未来は変えられる。これからを考える多くのヒントが書かれています。

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    大元隆志(おおもと たかし) 通信事業者のインフラ設計、提案、企画を12年経験。異なるレイヤーの経験を活かし、技術者、経営層、 顧客の三つの包括的な視点で経営とITを融合するITビジネスアナリスト。業界動向、競合分析を得意とする。Yahoo!ニュース講談社 現代ビジネスCNET翔泳社EntepriseZineITmedia マーケティングITイニシアティブ、等、様々なIT系メディアで活躍する。SNSビジネス特集でNHK教育テレビに出演。ソーシャルメディア系イベントしては国内最大級となるソーシャルカンファレンス主催者。著書に「ビッグデータ・アナリティクス時代の日本企業の挑戦」「ソーシャルメディア実践の書」、「IPv4アドレス枯渇対策とIPv6導入」がある。所有資格 米国PMI認定PMP、シニアモバイルコンサルタント等。