ソーシャルメディアは実社会の繋がりを求めるためだけのものか

今回は,「人のつながり」ということをテーマに普段考えていることを書きたいと思います。

「ネットからリアルへ人脈をつなぐ」という流れがトレンドになっている今,むしろ「ソーシャルメディア」の作り手やコアユーザーの皆さんに,果たして二つの世界の「人のつながり」は同様のものとして捉えていいものか,もっとキツイ言い方をすれば「ソーシャルメディアは実社会の繋がりを求めるためだけのものか」という問題提起をしたいと思うのです。

■ 弁護士と紹介制度
私の住む弁護士業界の「人のつながり」は,アナログの世界の中でもやや特殊なものです。即ち,弁護士は,基本的には紹介が必要という閉鎖的な職業だからです。

この「弁護士を頼むのには紹介がいること」に対しては,しばしば「敷居が高く,救済の道を閉じている」との批判を受けます。しかし,私としては,弁護士と依頼者との間に必至な信頼関係のためには紹介制度は不可欠であり,その敷居を超えることはよいことだと思っています。

まず,誤解ないように言えば,紹介などといっても,それほど大袈裟なものではありません。弁護士の所属している団体(例えば私は,渋谷の同友会に属しています。)の構成員や,紹介者の知り合いの知り合い程度で十分です。どうしても,紹介者がいない方は,「地元の」「流行っている」「医者,歯医者,お寺」あたりの「地域のハブとなっている方」に聞いてみましょう。多くの場合は,紹介できる弁護士を知っているはずです。
このように,実は,紹介制度は会員制クラブのように厳しいものではありません。逆に言えば,紹介者がいるからといって,被紹介者がどのような人であるかまでは保証されないものです。

■ 紹介が必要な理由
ならば,紹介により品質保証がされないにもかかわらず,なぜ,紹介を必要とするのでしょうか。私は,紹介制度は,依頼者と弁護士との間のいわゆる「囚人のジレンマ」を解消する仕組みではないかと考えています。
本来ならば,弁護士と依頼者とは,信頼関係がなければおよそ仕事ができません。離婚訴訟のように夫婦生活の実態まで聞き出さねばならない訴訟は勿論,例えば会社間の訴訟のように,非常にドライな訴訟であっても,依頼者がかかえている秘密を聞き出し,相手方からの不意の攻撃を事前に防ぐことが必要です。
そのためには,依頼者は「この弁護士は,頑張ってやってくれる」と思い,弁護士は「この依頼者は,私のがんばりを評価してくれる」と思うからこそ,良い結果を出すことができるのです。
しかし,紹介者がいない場合には,依頼者も弁護士も相手を信用せず,裏切る方にかたむきがちなのです。

まず,弁護士は,手抜きをした方が(短期的には)得です。
弁護士の仕事は専門的すぎて,おそらく手抜きしてもわかません。あまり深く考えることも調べることもなく,ただただコピペで長い書面を書けば,多くの依頼者は表向き納得することでしょう。(但し,裁判所や相手の弁護士は軽蔑するでしょう。)
これに対し,依頼者も,事件が終了となったら,約束していたお金を払わないことができます。即ち,最初に払う着手金と,成功報酬とに弁護士費用がわかれるところ,すでに仕事が終わった後はもう二度と弁護士を頼むことはないでしょうから,仕事をさせるだけさせて成功報酬を払わないことができるのです。

すると,弁護士が頑張り,依頼者が成功報酬(それは弁護士が頑張った結果得られる利益より大きいものとします。)を払えばお互いに良い結果になるところ,お互いお信頼関係ができないことになります。
即ち,弁護士が手を抜いた危険があると考えた依頼者は「本来の働きをしなかったのではないか」と考えて成功報酬を払わず,逆に,弁護士も「きっと成功報酬を払わないだろう」と考えれば手抜きをしてしまう結果,依頼者は本来勝てるものも勝てず,弁護士は成功報酬をもらえず,お互いに最悪の結果を生じます。
このように,両者が疑心暗鬼になったが故に両者にとって最悪な結果が待っていることになる,いわゆるゲーム理論でいう「囚人のジレンマ」の状態に陥るのです。

■ 1回のゲームをn回ゲームに変貌させる「紹介制度」
では,このような最悪の結果はどうやって避けることができるのでしょうか。そこにアナログ世界のソーシャルな面が生きてきます。

上記のような問題は,1回きりの関係であるから生じることに注目してください。
即ち,「弁護士の実力・やる気が依頼者にわかる時期」も,「依頼者が成功報酬を弁護士に支払うかいなかがわかる時期」も,訴訟が終了した時期ですから,1回きりの関係では,もはや「相手に報復するチャンスはない」のです。結果として,後で相手に裏切られても後悔しないように,お互いの最善手は「先に裏切ること」になるという悲劇が生じます。

ならば,長期的にみて「裏切った相手にペナルティを与え」ることによって,「裏切らない」という安心感を与える制度を作らねば,お互いに信用して仕事はできません。そして,「紹介制度」がかかる機能を担うのです。
まず,弁護士は,紹介者がいれば,目の前の依頼者を裏切って手抜きをすれば,紹介者から二度と紹介してもらえません。結果として,将来の利益を恒久的に失います。そのため,紹介者がいる限り,依頼者以上に,紹介者のメンツをたてるように頑張るのです。
また,依頼者も,事件終了後に正当な成功報酬を弁護士に支払わねば,紹介者の人脈からの信頼を一気に失います。紹介者と同じ人脈の上で生きている依頼者にとって,多くの人から「彼のために働いても意味がない」とおもわれれば,非常に生きづらくなります。そのため,適正な範囲で支払うのが通常なのです。

このように,1回きりの付き合いを,紹介者を介することによって,弁護士には将来の紹介を,依頼者には将来の助力を意識させることで,n回の連続したゲームに変更し,お互いにとっての最善手を「相手に誠実である」ことにさせるわけです。
このように本来的には1対1では成り立たない関係が,第三者を介することによって「将来の紹介者」「将来の助力者」という紹介者の裏にある集団の問題に変質させ,成り立つようにさせる点で,たとえ「将来の紹介者」「将来の助力者」という仮定の存在との結びつきではあるものの,紹介制度はソーシャルなものだと思っています。

なお,このような機能が働くためには,紹介者が,
弁護士を縛るうえでは:将来も紹介することがありうる人物であること
依頼者を縛るうえでは:地縁など,依頼者の生活・仕事に影響の与える人と繋がっていること
を担保する人物であることが必要となります。そして,紹介者は紹介することによって,さらにその信用を増していくこととなるのです。
(実際問題として,有力な紹介者の要求であれば,納期等につき多少の無理がきくのが普通です。)。

だが,これは問題も孕みます。即ち,n回ゲームというがんじがらめになってソーシャルに巻き込まれることは,義理というややもすると理念を枉げてでも沿わなければならない世界に身を置かねばならないことでもあるのです。濃いソーシャルな関係は,それなりの束縛を伴い,純粋な理念による連帯を難しくします。

■ デジタル世界の縁も,アナログ世界の縁と同じか
現在は,多くのメディアは,ソーシャルメディアを,かかるアナログ世界の関係を作るためのきっかけ,もっと露骨に言えば集客装置にとらえています。

しかし,少なくとも私にとっては,別物です。言い換えれば,むやみやたらに友だち申請しているような人をみてあえて付き合いたいと思うことはありません。実社会で同じように付き合いが広いのであれば別ですが,単にネット上で「友達」になっても実社会の繋がりと同等に評価できないからです。なぜならば,残念ながら私にとってネットの友達申請で友達となった友人は,いつでも切ることができるような間柄にすぎないからです。
アナログの世界の紹介者は,お互いに長い時間一緒にいて「この人物なら大丈夫だろう」という期間をへてはじめて生じるものです。その中には,多少いに沿わなくても,関係性を維持したいという濃い交流があります。同様の信頼関係をソーシャルメディア上で作る場合であっても,アナログ世界と同等の時間とやりとりが必要でしょう。

誤解を恐れずいえば,アナログの世界のソーシャルな関係というのは,両者の利害対立が非常に激しく対立しており,それを解消するために導入されるものであって,その効果に見合った投下資本をおしまない,非常に濃く,暑苦しい関係です。そのようなものを,単なるボタン一個で生じさせることは無理だと思うのです。

 

ならば,デジタルの世界のコミュニュケーションは,単にアナログの世界の交流の出来損ないなのでしょうか。そんなことはありません。むしろ私は,アナログ世界があまりにも濃すぎる交流であることから,もう少しゆるい交流をしたい場合こそ,デジタル世界が役立つと考えています。そして,それはアナログの世界の交流とは違う意義があると思われるのです。
都会の人が近所付き合いを嫌がるように,アナログ世界の縁は,束縛が強すぎる面があり,どうしても抜け出せないようなもの以外は避けたいものです。これに対し,デジタル世界では,アナログ世界のように濃いものも,いつでも切ることができるようなゆるい関係も存在します。そのうえで,いつでも離合集散することができるフットワークの軽さこそが,むしろデジタルの世界ならではの良さだと思われます。

例えば,今回の東日本大震災において,ネット上では様々なまとめサイトや,まとめマップなどが作られました。これは,アナログの世界であれば,町内会の会合のごとく抜け出せない世界になることをおそれて行いづらい面があったものです。
しかし,デジタル世界では,やるべきことが明確になってさえいれば,面識がない人間同士,一時的に簡単につくれる関係があります。そこには,しがらみのような重々しさはなく,目に見えた利益というあざとさもなく,ただ「お互いこれがやりたいから」という「ゆるい」つながりがあるだけです。
むしろ,「売らんかな」の広告で溢れている現在,そのような「ゆるい」つながりは,心の奥底での「わたしの財布ではなく,私を見て欲しい」という気持ちを愛撫してくれます。
アナログの世界の中での濃い交流とは異なる交流ですが,「あまりに踏み込まれることがない」「でも,寄り添っている」感覚は,実に快適です。

定元 邦浩さんから,私の前のエントリーに

Tech Waveの湯川さんが以前、FacebookやTwitterがもたらすコミュニケーションの、LikeやRTだけでも成り立つその距離感をたとえて朝、目覚めると台所で味噌汁に入れるネギを刻む音が聞こえる。それだけで母の存在を確認するし、自分のために今日も朝飯を作ってくれているなぁという安心感を感じる。お互い会話はないが、お互いの存在は十分に確認しあえているこの距離感だ。とおっしゃっていました。
自分はかなり共感しています。

とのコメント頂きましたが,このお母さんの味噌汁の距離感(直接に束縛するわけではないが,繋がっている感覚)こそが,アナログ世界ではなしがたい,デジタル世界ならではの在り方なのではないかと思っています。

■ やはらかな連帯に
私は坂のある街で育ったのですが,夏のある日,小学生だった私は,裏山の坂を自転車で汗だくになって漕いでいました。ところが,あと少しで頂上というのに,どうにも進めそうにもありません。だんだんと漕ぐスピードが緩くなり,ついには止まりそう……そのとき,ふとペダルが軽くなったのです。

後を振り返ると,酒屋のおにいちゃんが,
「あとちょっとだ,ほら頑張れ!」
といって私の自転車を押してくれていました。

頂上まであがった私は,酒屋のおにいちゃんに
「ありがとう」
と言って別れました。

私は,その坂を登るたびにその光景を思い出し,ちょっとだけ郷愁にひたり,我が街に帰ってきたような気がするのです。

 

今,アナログの世界では,そういったゆるい繋がりは難しいかもしれません。私が女児に同じ事をしたら,私の人相をみて通報されるでしょう。そうでなくとも,東京にいる私は,面識のない人に親切して面倒になるようなら,最初からそそくさと通り過ぎたい思うのです。

しかし,デジタルの世界のコミュニュケーションは,それが直接の利害につながりにくいが故に,かえって「お互いを束縛しないゆるい付き合い」として,「お母さんの味噌汁の距離感」をもって成り立つこともできます。
その背景にきっと,私が酒屋のお兄ちゃんに感じた「相手の存在の確認」と「安心感」があるのではないのでしょうか。それは,直接的な利益よりもずっと私達の心を豊かにしてくれるものと私は信じています。

デジタル世界のコミュニュケーションは,「アナログ世界の関係性を得るためのきっかけを得るためのもの」と喧伝されがちですが,それでは,本来のデジタルの世界のよさをいかしきれていないのではないのでしょうか。むしろ,その一歩ないし二歩手前の「デジタル世界ならではのお互いを束縛しないゆるい付き合い」の融通性こそが,利益というものが前面に出すぎない爽やかな関係が新たな世界を切り拓いてくれるのではないかと期待しています。

プロフィール
星出 光俊(ほしで みつとし)

東京・銀座(新井・小口・星出法律事務所)で弁護士をしています。一般民事を担当しており,特に医療系の訴訟や労働訴訟を多く取り扱っています。経済学部卒ということもあり,本ブログでは,法律問題のみではなく法と経済学に近い,問題から先に何があるのかを考察していきたいと思っています。




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    星出 光俊(ほしで みつとし)

    東京・銀座(新井・小口・星出法律事務所)で弁護士をしています。一般民事を担当しており,特に医療系の訴訟や労働訴訟を多く取り扱っています。経済学部卒ということもあり,本ブログでは,法律問題のみではなく法と経済学に近い,問題から先に何があるのかを考察していきたいと思っています。