最後の侍たち

お茶の産地というと,多くの人は静岡と考えるのではないか。事実,静岡の牧之原台地は,日本有数のお茶の産地である。
しかるに,その歴史は浅い。実は,牧之原台地は,明治をまってはじめて開拓されるのである。開拓に従事したのは,旧幕臣らの士族であり,米作などには向かない不毛の土地に入植し,開拓したものである。
それまで幕臣であった者にとって,刀を農具にもちかえて茶を栽培することはかなりの苦労があったものと思われる。特に,静岡は徳川幕府のお膝元であり,江戸を追われた旧幕臣たちは,それまでの高い地位からいきなり慣れない農作業にかり出されることとなった。
初代静岡知事であった関口隆吉も,同地に居を移し,幕末の戦後処理にあたり,開墾と大茶園造成事業の任にあたった一人である。その後,静岡県知事という旧幕臣との調整役を任されたことからわかるように,旧幕臣の不満を受け止める任を帯びていたことは間違いない。

武家の商法などというが,現実は厳しく,その中にはなじめない者もたくさんいたものと思われる。その一人がここであげる渡邊秋水,いわゆる「髭先生」である。

渡邊秋水は旧幕臣であったらしいが,どうも牧之原の茶栽培になじめず,天竜川の上流に行き着き,そこに居を構えたという。妻子もいたようだが,江戸に残してきたらしい。
詳しくはわからないものの,そこで書を教え,剣を教え,地域の人には髭先生として親しまれ,そこから何人もの学問を備えた人物を輩出させたという。あたかも,太平洋戦争後の代用教員の如く,当時の最先端の文化を運んできた人物ともいえよう。

とはいえ,本人の気持ちは忸怩たるものがあったにちがいない。それでも,侍であることをやめられず,侍としての気概をもって生きるしかなかったのである。幸せかといわれれば,俗世にある私にとってはとても幸せには思えぬが,一方でかかる人生の苦境にあって,それでも捨てられないものがあることそのものが,ある意味で,芯の通った人間として生きてきたものにも思える。

明治期に大学初期の教育を担った,いわゆるお雇い外人であるグリフィスは,廃藩置県に際して,驚嘆している。即ち,廃藩により武士という身分がなくなるにもかかわらず,武士らへの通告と受諾がきわめて平穏かつ厳粛に遂げられたのである。そこにある矜恃をして,彼をして感動せしめたのである。
そこには江戸時代の文化というものがあり,幸せかどうかは別として深くしみついたものがある。
昨今は,明治がもてはやされているようにも思えるが,明治維新は感嘆すべきものであると同時に,実はこのような名も無き人々のもとになされたものであり,その基礎が江戸時代にあったことを忘れてはならない。

「髭先生の碑」にはこのように書かれているという。氏の複雑な気持ちと,深い矜恃を感じさせるもので,ある意味で最後の侍たちの一人であったもののように思う。

明治の代
この山里に足を止め
坂を上がり 峠を越えて
どこかの 誰かの家に行く
流浪の学人
(詳しくは,「書を讀まざりしを悔ゆ -渡邊秋水の生涯-」近藤啓吾著・千巻印刷産業株式会社を御参照ください。)

プロフィール
星出 光俊(ほしで みつとし)

東京・銀座(新井・小口・星出法律事務所)で弁護士をしています。一般民事を担当しており,特に医療系の訴訟や労働訴訟を多く取り扱っています。経済学部卒ということもあり,本ブログでは,法律問題のみではなく法と経済学に近い,問題から先に何があるのかを考察していきたいと思っています。




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