「ポスト」その名前と、人格はどうして作られたか

テレビの前で放送が始まるのを待ち、最初から最後まで連続ドラマを見る。こんな体験は何年ぶり、恐らくは十年は経験していない。私にとって「明日、ママがいない」はそんなドラマだった。

ドラマの視聴率は初回が14%で始まり、途中社会問題に発展し最高視聴率15%を記録。その後は11.5%前後で推移し最終回は12.8%という結果に終わった。全体平均12.85%。このドラマに対する批判は最後まで止まることは無かったが、今クールの連続ドラマ視聴率上位入りは確実。Youtubeの延べ再生回数も毎回十万回近く再生されていたことからも、固定ファンには愛されたドラマだったと言えるだろう。

実際、最終話の前に呟かれた出演者の、このTweetは七千回を超えるRTがなされており、多くのファンに愛されていることを証明している。

なぜ、このドラマは批判されたのか

このドラマは初回放送直後から特定の団体や著名人らから批判を浴びせられ、CMがACのものに置き換えられる自体となった。なぜ、このドラマはこんなにも批判を受けることになったのだろうか。Wikipediaから幾つか引用する。

初回放送後、国内唯一の赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」を運営する慈恵病院が「フィクションだとしても許される演出の範囲を超えている」として、番組の放送中止や内容の再検討などを求めた[23]。

慈恵病院の主張には頷ける部分はある。しかし、作中で行き場を無くしてしまった子供たちが、養護施設に依存しないために「わざと」厳しい言葉や態度をぶつけていたことが分かるように描かれている。親に捨てられ行き場を無くしてしまった子供達にとっては、「コガモの家」はかけがえのない「我が家」なのだ。特に最終話では18才になれば施設を出て行かなければならないという規則から、下宿を考えていた「オツボネ」が「ここから通えばよい」と告げられ「私、ここに居ていいの」と涙を流すシーンさえある。

劇中では施設長が「泣いた者から食べていい」「お前たちはペットショップの犬と同じだ」などと言うシーンがあった[25]。2014年1月22日にはBPOの放送人権委員会に審議を求める申立書を送付した

確かに「ペットショップの犬と同じ」と言う言葉にショックを受ける人はいるかもしれない。しかし、現実は「子供をペット」のように考えている親は急増しているのではないだろうか。これは厚生労働省の発表している「児童虐待相談対応件数」の推移だ。平成2年に1101件だった相談件数は今や66,807件へと急増しているのだ。
急増する児童虐待件数

自分の命令に従わない子供を虐待する親。ペットのように飽きたら捨てられる子供。擁護施設が「セーフティネット」となる現実。

批判が多いドラマだが、現代日本の一つの病巣から生まれる問題を的確に表現しているのではないだろうか。

「ポスト」その名前と、人格はどうして作られたか

このドラマへの最も多かった批判は、芦田 愛菜が演じる主人公の「ポスト」というあだ名だろう。彼女はなぜ、自らを「ポスト」と呼んだのか。これは、親を選ぶことも出来ず、顔を見ることも自分を捨てた、唯一自分が親に出来る反抗だったと、作中で描かれている。

なぜ、反抗する必要があったのか。これもまた、現代日本で問題になっている「ドキュンネーム」が原因だ。最終話で「ポスト」は「キララ」という本名であったと明かされるが、これは俗にいう「キラキラネーム、ドキュンネーム」として紹介されることがある。

しかし、「ポスト」が「ポスト」と名乗った背景には、もう一つ理由があると私は考えている。

初回から八話まで、ポストはずっと周囲の子供たちを支える気丈夫な女の子として描かれていた。その顔に似合わない男勝りの口調や服装。悔しい時の涙、仲間のための涙を流すときはあっても自分のためには泣かない、そんな女の子だった。それはまるで親から授かった全ての物への反抗のようにも見える。自分を女として生んだ親への反抗、自分を捨てた親に対する涙なんて流さない、そんな意地があるように見えた。

しかし、最終話、最後のシーンで三上博史演じる「魔王」に抱き寄せられ、言葉もなく泣きじゃくるシーンは、そんな気丈夫な男勝りの女の子ではなく、親が居なくては生きていけないような、幼くかよわい女の子の姿だった。これが、本当の「ポスト」、いや「キララ」の性格だったのだろう。

「キララ」はずっと「ポスト」を演じていたのだ。頼れるリーダ的存在、「愛」の身代わり、親から捨てられた自分を受け入れるには、親から授かった性格より「誰か」を演じて生きていく方が、楽だったのだろう。

生まれた時から親に愛されることを知らずポストで目覚めた赤ちゃん。初めて「愛される」ことを知り、「誰か」を演じなくても「居てもいい場所」がある。それを知って本当の自分をさらけ出すことが出来るようになった。親から捨てられ、自分を好きになることが出来ず、名前も性格も捨てて「ポスト」を演じて生きてきた「キララ」。

「明日、ママがいない。でもパパがいる」。帰る場所、必要としてくれる人が出来たことで、忌み嫌っていた見たことも無い親から貰った「キララ」という本名さえ、受け入れられる自分になっていた。

なんの予習もなく運悪く初回放送を見てしまった人は、このドラマで傷ついた可能性は否定できない。しかし、一方でこのドラマを愛する多くの人が居ることも忘れないで欲しい。



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    大元隆志(おおもと たかし) 通信事業者のインフラ設計、提案、企画を12年経験。異なるレイヤーの経験を活かし、技術者、経営層、 顧客の三つの包括的な視点で経営とITを融合するITビジネスアナリスト。業界動向、競合分析を得意とする。Yahoo!ニュース講談社 現代ビジネスCNET翔泳社EntepriseZineITmedia マーケティングITイニシアティブ、等、様々なIT系メディアで活躍する。SNSビジネス特集でNHK教育テレビに出演。ソーシャルメディア系イベントしては国内最大級となるソーシャルカンファレンス主催者。著書に「ビッグデータ・アナリティクス時代の日本企業の挑戦」「ソーシャルメディア実践の書」、「IPv4アドレス枯渇対策とIPv6導入」がある。所有資格 米国PMI認定PMP、シニアモバイルコンサルタント等。